『温古知新』 
・人にかいまち
きよきまち
・心り合うまち
しいことにチャレンジするまち

2006年のまちのコンセプトづくりを経て決めた上古町が大切にした考え方です。
実際に、歴史ある老舗も、長く上古町や周辺にに住む人も、新しくここで商いを始める人たちも穏やかに関わり合い、過ごしています。
新しい取り組みにも積極的に関わっています。

上古町商店街振興組合の歴史

2004年 上古町まちづくり推進協議会発足
    まちづくりの勉強会、アーケードの計画などの会議を重ねる
2004年 上古町の地図新聞 カミフルチャンネルが完成 (その後vol.08まで発行)

2006年 新潟市上古町商店街振興組合 発足
2007年 世界のSSD100―都市持続再生のツボ に掲載される

2007年 ガイドブックなどで上古町商店街が紹介されることが増える。
2008年 アーケード取り外し完了
2008年 このころから新規出店者が増え始める。

2008年 明和義人祭 初開催 
2009年 上古町商店街にアーケードと歩車道の工事が完成

2009年 指定管理団体として国の重要文化財に指定されている「県政記念館」の維持・継続に関わっている。様々なイベントの企画、運営を行いました。

2010年〜 新潟県観光向けのガイドブックのほとんどに「上古町商店街」のページがつくられ掲載される

2013年 2008年に空き店舗率が35%だった商店街が約5年で空き店舗率3%ととなり、大きな話題となる。専門誌などで多数掲載される。

2020年 新型コロナウイルスの影響で多くのイベントが中止となる

2020年 本町・古町の他の商店街と共同の企画、「本町・古町プロジェクト」がスタート 好評をえた
    上古町商店街の消費喚起イベント「カミフルエール」実施。好評をえる。

これまでの流れ

<長めのまちの歴史紹介>

2007年4月日より、日本海側初の政令指定都市となった新潟市。 その行政の中心、新潟市役所を南へ進むと、大きな赤い鳥居がシンボル、総鎮守白山神社が鎮座しています。その沿道へとつながるように、上古町商店街のメインストリート、古町通りは延びています。
歴史を紐解くと、江戸時代年ごろすでに「古町」という名前は存在したようで、一説には新潟でいちばん歴史ある古い町ということから「古町」と呼ばれたとも言われています。そもそも新潟は、越後米の寄港地として繁栄し、経済都市としての営みは1617年長岡藩主と都市計画からというように商業都市としての長い経験を持っています。
 やがて明治維新を経た町名改正で、白山神社側を上(上)とした「上古町」の誕生となりました。その後、新潟市の中心商店街として長い間「新潟=古町」と言われるように商店街は多くの人たちで賑わいました。昭和になり、新潟での初めてのデパート『芳屋』も上古町に出来ました。白山祭りの時は、上古町に露天がならびに大勢の人達で、夜遅くまでに賑わったものです、昭和30年の新潟大火は、風向きで救われ、39年には、新潟国体が催される事になり、新潟市の堀が皆埋められ道路になり、最後まで木製だった昭和橋が近代化されましたが、すぐ後の新潟地震で、出来立ての昭和橋がパタパタと落ち道路が割れる大異変が起きました。その変貌の中上古町はいつも新潟の中心商店街として頑張ってきましたが、万代の新しい大型デパートの出店などで、だんだん求心力をなくして次第に商店街は元気を失ったと言われました。しかしここ最近では若手のお店の出店が相次いでいます。
現在、この上古町は500Mつづく沿道に100店舗ほどの様々な業種の商店が軒を連ね、若年層に人気のセレクトショップやカフェ、個性的な雑貨店から老舗菓子店の並ぶ商店街として知られています。歴史と未来への可能性を併せ持つこれからの上古町にご注目ください。

参考文献
「新潟歴史双書1~8」 新潟市 ㈱文久堂 
「新潟県の歴史散歩」 新潟県の歴史散歩編集委員会 山川出版
●まちあるきグループ路地連新潟の野内隆裕さんと巡る周辺の町歩き記事(カミフル団)

カミフルチャンネル

『カミフルチャンネル』とは白山公園周辺を上(かみ)とする古町通周辺の地域、上古町商店街(古町通一番町、一番堀町、古町通二番町、古町通三番町、横一番町、古町通四番町)のことを伝える地図新聞のことである。
https://kamifuru.official.ec/p/00004